2008年08月20日
ギャラリートークの後
展覧会初日のギャラリートークについて。
作品を特別出品してくださり、また今回ギャラリートークの相方でもあった
山下和也さんがすでにブログに報告されている。
http://blog.goo.ne.jp/kazuyajack/
数寄和大津のブログも関連記事を載せてくださっている
http://www.sukiwa.net/otsu/index.html


自分は話し下手でどうなることかと思っていたけれど、山下さんがうまく話
の舵を取ってくれた。10年ぶりの再会。かつても、こんなふうに二人で何か
絵についてのことを一緒に考えて、話しをしたような気がする。そしてその
ときも、脱線したり土壺にはまりがちなぼくに対してそれをしっかりと受け止
めて、なおかつ話しが続くようにうまく流してくれたような気がする。そこに
甘えて図に乗って山下さんを困らせたこともあったような気がする。かつて
も今も・・・。不思議な気分だ。
客観的な報告はぼくには出来ない。ただ、特に心に残っていることを記して
おきたい。
ぼくは自分の作品二点を挙げて、自分の制作に引き寄せて、「よい絵」とは
何かを、考えた末、結局わからないのだけど、どういうふうにわからないのか
ということを、述べたつもりだ。
曖昧模糊としたぼくに対し、山下さんは具体的にいくつかの作品例を挙げて
それぞれについて、はっきりと良い点を述べ上げた。
「よい絵とは」という漠然としたテーマながら、それぞれに違った自分の色合
いの話しをして、近づいたり離れたりするなかで、見えていない漠然としたも
のを、自分のなかになんとなく浮かび上げることができたような気がする。
山下さんは模写を長年取り組まれてきてその作品も模写の流れの上にあ
る(とぼくは受け取っている)作家である。模写の考え方に以前から興味を
深くしていたぼくの、今回何か新しい発見をしたいという期待は、しかし心地
よく裏切られた。
山下さんの模写に関する作品紹介や派生して語られる言葉からは、意外に
も、新たな発見というものではなく、自分が考えていたことをはっきりとさせて
くれたり、補強をしてくれるのだった。そのほうが自分が欲していたものだった
かもしれない。(だからぼくは相槌ばかり。自分は全くギャラリートーク向きで
はないなあ、と思うのだ)

技法的な要素(紙、絵の具の使い方、特に保存という意識、筆遣い、描線)
定型、題詠などの模写にまつわる態度、姿勢の要素(近代のオリジナリティ
信仰によって、否定されてしまったこうした大切な要素を、山下さんは直感的
に取り戻し自分のものにしていると、ぼくは感じた)
絵の内容、絵の心のこと(エッセンスということばで語られていた)
作品を見るときの態度、深く読み取るということ(作者の真意や、細かい心持
ち、作品自体が経てきた時間やそこに絡む人々の思い、そういうものを、じっ
くりと時間をかけて感じ、読み解かなければわからないような作品がある。ま
たそういう深い見方に耐えうるような作品がある。瞬間的に消費されていくよ
うな浅薄なものは作品とは言えない)
◇

ギャラリートークの後、船幸祭のお神輿や花火を見て、お酒(山下さんの差し
入れてくださった「やたがらす」!純米酒や日本画家のNさんの差し入れで
なんとこれまた「やたがらす」のトマトの酒?などなど)を頂き、近江の鯖寿司
を頂き、再びギャラリートークや絵にまつわる会話などをみなさんと交わした。
ただ、非常に情けないことに、ひさしぶりに普段使わない頭を使ったためか最
後には頭痛がしてくるのだった。
◇
マツタケさんという近江を拠点に活躍するピアニストの方と知り合いになった。
数寄和さんのご縁に感謝したい。
別れ際にCDを頂いた。「una corda」というオリジナル曲の演奏集だ。慎み深い
優しい音色と彼の人物像とが重なり、「ああ、近江の人の音だな」と思う。
マツタケダイスケさんのブログ
http://jiri2.jugem.jp/
ピアニストの友人には深水郁さんがいる。両者は全然違う音だけど、どこか似てい
るといえば似ている。
深水さんはまるで彼女の音楽そのままのような絵を描くけれど、マツタケさんは絵を
描いたらどんな絵になるのだろうか。
◇
翌日からは解放感に心も軽く、琵琶湖岸をスケッチしたりして廻ったのでした。

作品を特別出品してくださり、また今回ギャラリートークの相方でもあった
山下和也さんがすでにブログに報告されている。
http://blog.goo.ne.jp/kazuyajack/
数寄和大津のブログも関連記事を載せてくださっている
http://www.sukiwa.net/otsu/index.html


自分は話し下手でどうなることかと思っていたけれど、山下さんがうまく話
の舵を取ってくれた。10年ぶりの再会。かつても、こんなふうに二人で何か
絵についてのことを一緒に考えて、話しをしたような気がする。そしてその
ときも、脱線したり土壺にはまりがちなぼくに対してそれをしっかりと受け止
めて、なおかつ話しが続くようにうまく流してくれたような気がする。そこに
甘えて図に乗って山下さんを困らせたこともあったような気がする。かつて
も今も・・・。不思議な気分だ。
客観的な報告はぼくには出来ない。ただ、特に心に残っていることを記して
おきたい。
ぼくは自分の作品二点を挙げて、自分の制作に引き寄せて、「よい絵」とは
何かを、考えた末、結局わからないのだけど、どういうふうにわからないのか
ということを、述べたつもりだ。
曖昧模糊としたぼくに対し、山下さんは具体的にいくつかの作品例を挙げて
それぞれについて、はっきりと良い点を述べ上げた。

「よい絵とは」という漠然としたテーマながら、それぞれに違った自分の色合
いの話しをして、近づいたり離れたりするなかで、見えていない漠然としたも
のを、自分のなかになんとなく浮かび上げることができたような気がする。
山下さんは模写を長年取り組まれてきてその作品も模写の流れの上にあ
る(とぼくは受け取っている)作家である。模写の考え方に以前から興味を
深くしていたぼくの、今回何か新しい発見をしたいという期待は、しかし心地
よく裏切られた。
山下さんの模写に関する作品紹介や派生して語られる言葉からは、意外に
も、新たな発見というものではなく、自分が考えていたことをはっきりとさせて
くれたり、補強をしてくれるのだった。そのほうが自分が欲していたものだった
かもしれない。(だからぼくは相槌ばかり。自分は全くギャラリートーク向きで
はないなあ、と思うのだ)

技法的な要素(紙、絵の具の使い方、特に保存という意識、筆遣い、描線)
定型、題詠などの模写にまつわる態度、姿勢の要素(近代のオリジナリティ
信仰によって、否定されてしまったこうした大切な要素を、山下さんは直感的
に取り戻し自分のものにしていると、ぼくは感じた)
絵の内容、絵の心のこと(エッセンスということばで語られていた)
作品を見るときの態度、深く読み取るということ(作者の真意や、細かい心持
ち、作品自体が経てきた時間やそこに絡む人々の思い、そういうものを、じっ
くりと時間をかけて感じ、読み解かなければわからないような作品がある。ま
たそういう深い見方に耐えうるような作品がある。瞬間的に消費されていくよ
うな浅薄なものは作品とは言えない)
◇

ギャラリートークの後、船幸祭のお神輿や花火を見て、お酒(山下さんの差し
入れてくださった「やたがらす」!純米酒や日本画家のNさんの差し入れで
なんとこれまた「やたがらす」のトマトの酒?などなど)を頂き、近江の鯖寿司
を頂き、再びギャラリートークや絵にまつわる会話などをみなさんと交わした。
ただ、非常に情けないことに、ひさしぶりに普段使わない頭を使ったためか最
後には頭痛がしてくるのだった。
◇
マツタケさんという近江を拠点に活躍するピアニストの方と知り合いになった。
数寄和さんのご縁に感謝したい。
別れ際にCDを頂いた。「una corda」というオリジナル曲の演奏集だ。慎み深い
優しい音色と彼の人物像とが重なり、「ああ、近江の人の音だな」と思う。
マツタケダイスケさんのブログ
http://jiri2.jugem.jp/
ピアニストの友人には深水郁さんがいる。両者は全然違う音だけど、どこか似てい
るといえば似ている。
深水さんはまるで彼女の音楽そのままのような絵を描くけれど、マツタケさんは絵を
描いたらどんな絵になるのだろうか。
◇
翌日からは解放感に心も軽く、琵琶湖岸をスケッチしたりして廻ったのでした。

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この記事へのコメント
こんにちは。ご紹介ありがとうございます。
振り返ってみると、絵を描くということを中学生以来とんとしていないので、自分が描く絵に僕自身興味があります。
機会がございましたらスケッチなど誘ってください。
振り返ってみると、絵を描くということを中学生以来とんとしていないので、自分が描く絵に僕自身興味があります。
機会がございましたらスケッチなど誘ってください。
Posted by マツタケダイスケ at 2008年08月25日 14:25
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