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2014年04月30日

木こりと馬

木こりと馬

木こりと馬
「木こりと馬」は、初めに今回の展覧会の主題にしようと考えていた言葉でした。
 樹を伐る仕事は描くことに通じる。命と対峙する仕事。命を掛けて一本の線を引く仕事。
そして、今回描いた樹々、ケヤキたちは全て、私がこの二年程の間に伐った樹を思い出して描きました。一本一本これはどこそこの樹と言えます。写真のような正確さではありませんが、枝ぶりや又の形、枝全体のバランスやボリューム感を見る木こりの目は、樹という命のもつ姿かたちを極端な冷徹さで捉えます。それは上手く伐るために必要な冷徹さです。
木こりは上手く伐ることが仕事。上手く伐る=伐られた樹の命が価値ある材として、第二の人生に繋がって命が活かされる。ということです。しかし現実は値段がつかなければ、価値がないとされてしまい、実際価値の無い樹などは無いのですが、現状は値が付かなければゴミ扱いです。この命を活かしたい。それが、自分が木こりになってやりたかったことでもあります。
しかしいつか自分は、上手く伐る自分、上手く伐れる自分の技術のみに慢心して、いまこの世の中で活かされていない命を活かしたいという想いを忘れていたことに気づきました。
気付いたときのショックというか、動揺は今も続いていると言ってもいいかもしれません。実は昨年9月に頭を丸めたのも、少々薄くなってきた頭を隠したいという理由ばかりでなく、そんな深い理由もあったのです。
気づくと自分は樹というこの大きな命を奪うことに慣れきっている、しかしこれは実は自分の命をすり減らすことに通じていると、直感しました。
「自分にできること、描くことで、伐られた樹々の魂を鎮めたい。この絵にケヤキたちへの鎮魂の想いを込めよう。」
しかし、樹の命に直接手を下す自分の行為としては、これはどこかいびつな感じがしました。鎮魂と言いながら、それは己の魂を鎮める事と同義で、極めて利己的行為で、ほんとに自分が愚かでどうしようもない、と思います。
そんな私の愚かさや葛藤を、包み込むように、全てあるがままに受け入れてくれる、この世で最も寛容な存在が、馬でした。馬たちはただ、傍に立ち、たたずんでいる。


・若山卓日本画展― たたずむ ―
□営業時間:午前10時~午後7時 (土・日・祝は午後7時30分まで)
□お問い合わせ:直通( 0 2 7 ) 3 3 0 - 3 9 5 6
□平成26年4月30日(水) ~ 5月6日(火・振休)
□高崎髙島屋5階アートギャラリー(群馬・高崎)
※最終日は午後2時閉場


・中村寿生 若山卓 2人展
数寄和(東京・西荻窪)
5/10(土)-5/18(日) 11:00-19:00 無休
中村 古民家再生 米栽培 楮栽培
若山 木こり 木曽駒の飼育
制作環境にまで意識を向け、絵画制作を続ける2人の合同発表展です。
http://sukiwa.net/wordpress/archives/1541




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Posted by waka at 05:11│Comments(0)美術きこり
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