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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2014年04月30日

「像」について


一対の「像」と板絵のカラスたち

「像」について
像(かたち)は二十代の頃から続く私のテーマの一つです。
ものの形や像そのものに顕れる「命」や「心」を捉えて表現したい。彫刻の仕事に近いのかもしれません。
そして数年前からは「馬の像」に取り組んでいます。
馬のかたちとは。以前書いた文章から、それに触れる部分を引用します。

「実にとらえどころが無いのだ。理解できない。骨格やプロポーションの難しさはスケッチを重ね、また資料を研究することなどで、なんとかなるのだけれど、その性質や心がわからないのだ。心は形に表れる(と私は信じている)ので、心がつかめなければ、形がつかめないのと一緒である。描けない、描いてもどこか空々しく表面的になってしまう。」

「私は未だに彼らを捉えられずにいる。最近気付いたのは、草食動物一般に共通する捉えどころのなさ、である。己を捉(捕)えようと凝視する肉食獣のまなざしから逃れることこそが、彼らが何万年も繰り返し鍛えてきた能力なのだ。そして私は、自身に肉食獣の血が流れていることを忘れている。」

そして今回の作品、一対の「像」については、前作「馬の像」に寄せた馬頭観音の話しを再び引用します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
馬の像
哲学者の内山節氏の文章の中に馬頭観音にまつわる挿話がある。一般的な馬頭観音の由来としては、事故で命を落とした馬の霊を慰めるために、その馬が死んだ場所や、旅の安全を祈願して馬が集まる街道の辻などに建てた供養塔であるというのが、よく聞かれる話だと思う。ところが上野村のある家には少し趣が違う話しが言い伝えられているという。
山の中には時空の裂け目がある。裂け目に誰かが落ちると死んで、裂け目は埋まる。人にはその裂け目は見えないのだが、馬にはそれが見える。馬は人間がそこに落ちて死なないようにと自らその裂け目に入り命をなげうって、人間の身代わりになった。馬が事故死するのはそういうときで、あるときそのことに気づいた人間が、馬頭観音を建てた。
なんとも不思議な話だが、内山節ファンの私にとって特に好きなエピソードのひとつである。そして、この話は馬の性質を考えるとそう突飛な話でもないと、私は思っている。
人の気付かないものにも馬はよく気が付く。馬は非常に繊細かつ敏感でありながら、一方、人間のために、どこまでも勤める非常な寛容さも持ち合わせている。
人類には本当に得難く、有難い友であったといえる。
馬という種族への、感謝の祈りを込めて、私も私にとっての「馬頭観音」を描きたい。



・若山卓日本画展― たたずむ ―
傍らに立つ。ゆっくりと、言葉のない対話を交わす。
馬たちが教えてくれたのは、佇む( たたずむ )という行為でした。
□営業時間:午前10時~午後7時 (土・日・祝は午後7時30分まで)
□お問い合わせ:直通( 0 2 7 ) 3 3 0 - 3 9 5 6
□平成26年4月30日(水) ~ 5月6日(火・振休)
□高崎髙島屋5階アートギャラリー(群馬・高崎)
※最終日は午後2時閉場


・中村寿生 若山卓 2人展
数寄和(東京・西荻窪)
5/10(土)-5/18(日) 11:00-19:00 無休
中村 古民家再生 米栽培 楮栽培
若山 木こり 木曽駒の飼育
制作環境にまで意識を向け、絵画制作を続ける2人の合同発表展です。
http://sukiwa.net/wordpress/archives/1541
  


Posted by waka at 05:29Comments(0)美術

2014年04月30日

木こりと馬



木こりと馬
「木こりと馬」は、初めに今回の展覧会の主題にしようと考えていた言葉でした。
 樹を伐る仕事は描くことに通じる。命と対峙する仕事。命を掛けて一本の線を引く仕事。
そして、今回描いた樹々、ケヤキたちは全て、私がこの二年程の間に伐った樹を思い出して描きました。一本一本これはどこそこの樹と言えます。写真のような正確さではありませんが、枝ぶりや又の形、枝全体のバランスやボリューム感を見る木こりの目は、樹という命のもつ姿かたちを極端な冷徹さで捉えます。それは上手く伐るために必要な冷徹さです。
木こりは上手く伐ることが仕事。上手く伐る=伐られた樹の命が価値ある材として、第二の人生に繋がって命が活かされる。ということです。しかし現実は値段がつかなければ、価値がないとされてしまい、実際価値の無い樹などは無いのですが、現状は値が付かなければゴミ扱いです。この命を活かしたい。それが、自分が木こりになってやりたかったことでもあります。
しかしいつか自分は、上手く伐る自分、上手く伐れる自分の技術のみに慢心して、いまこの世の中で活かされていない命を活かしたいという想いを忘れていたことに気づきました。
気付いたときのショックというか、動揺は今も続いていると言ってもいいかもしれません。実は昨年9月に頭を丸めたのも、少々薄くなってきた頭を隠したいという理由ばかりでなく、そんな深い理由もあったのです。
気づくと自分は樹というこの大きな命を奪うことに慣れきっている、しかしこれは実は自分の命をすり減らすことに通じていると、直感しました。
「自分にできること、描くことで、伐られた樹々の魂を鎮めたい。この絵にケヤキたちへの鎮魂の想いを込めよう。」
しかし、樹の命に直接手を下す自分の行為としては、これはどこかいびつな感じがしました。鎮魂と言いながら、それは己の魂を鎮める事と同義で、極めて利己的行為で、ほんとに自分が愚かでどうしようもない、と思います。
そんな私の愚かさや葛藤を、包み込むように、全てあるがままに受け入れてくれる、この世で最も寛容な存在が、馬でした。馬たちはただ、傍に立ち、たたずんでいる。


・若山卓日本画展― たたずむ ―
□営業時間:午前10時~午後7時 (土・日・祝は午後7時30分まで)
□お問い合わせ:直通( 0 2 7 ) 3 3 0 - 3 9 5 6
□平成26年4月30日(水) ~ 5月6日(火・振休)
□高崎髙島屋5階アートギャラリー(群馬・高崎)
※最終日は午後2時閉場


・中村寿生 若山卓 2人展
数寄和(東京・西荻窪)
5/10(土)-5/18(日) 11:00-19:00 無休
中村 古民家再生 米栽培 楮栽培
若山 木こり 木曽駒の飼育
制作環境にまで意識を向け、絵画制作を続ける2人の合同発表展です。
http://sukiwa.net/wordpress/archives/1541


  


Posted by waka at 05:11Comments(0)美術きこり

2014年04月15日

展覧会「たたずむ」



若山卓日本画展
― たたずむ ―
傍らに立つ。ゆっくりと、言葉のない対話を交わす。
馬たちが教えてくれたのは、佇む( たたずむ )という行為でした。

□営業時間:午前10時~午後7時 (土・日・祝は午後7時30分まで)
□お問い合わせ:直通( 0 2 7 ) 3 3 0 - 3 9 5 6
□平成26年4月30日(水) ~ 5月6日(火・振休)
□高崎髙島屋5階アートギャラリー
※最終日は午後2時閉場
  


Posted by waka at 11:17Comments(0)美術