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2009年08月02日

奄美でナマコに思う

奄美でナマコに思う

インド・バラナシで出会ったトモヤくんのお誘いで奄美大島に神楽メンバーと行ってきた。
同宿のトモヤくんのチームは多くはバーニングマンつながりだという、ダンサーやミュージシャン、PA技術者、DJ、それぞれに魅力的なアーティストたちだった。
日本画の絵描きか、きこりであるぼくがめったに会うことのない人種たち。もちろん新鮮なのだけど、なにか親しみを感じさせる仲間たちだった。
ぼくは絵描きとして踊りや音楽の人にはあこがれがある。それは表現がいつも直接的で、いつもライブだから。感動をその瞬間その場で表現できるのはほんとうに素敵なことだ。
でもDJは、ちょっと絵描きに近いかもしれないとふと思う。身一つではなく、特殊な器材や場、いわばモビルスーツを着てはじめて表現が成立するという点で。
ピアニストや大きな楽器のミュージシャンはみなそうか。しかし、今回出会ったYummyさんもそうだったけれど、彼らがひとたびモビルスーツを得た瞬間の豹変が、ほんとうにかっこよくてぼくにはいつも衝撃的だ。やはり絵描きとは違うな、と思いなおす。

「パーティ」というものやDJというものについてぼくはこれまで疑問を強く持っていた。知らない、未経験であることから、理解よりもまず疑問が先立ってしまったのは、ありがちな不幸とも思う。
一言で言えば「音が大き過ぎてその良さを知る以前に、拒絶してしまう」のだ。
そのあたりの見識も豊かな神楽の笛吹きHibikiさんは、今後この状況は変わっていくだろう、いまは過渡期だという見方を話してくれた。
美術の世界にも同じようなところはあるな、と思う。

その疑問をトモヤくんにもいつか述べたことがあるような気がする。かれは答えず、今回呼んでくれたような気もする。

奄美でナマコに思う

奄美での神楽は、皆既日食にちなんで天岩戸開きの神話をテーマに演じられた。
ダンサーのキャシーがアマノウズメ、同じくダンサーのサンゴさんがアマテラス、熊野の獅子がタジカラヲの役だった。音楽祭のときはこれにちょっとこも加わった。やっぱりなんだか強引な設定だけど、このテーマは舞手としてのやりがいがあった。
緩い斜面で柔らかい砂浜に苦労した。こうした場所での獅子舞には今後かなり研究の余地があると思う。
ダンサーの二人がかっこよかった。

神話の解釈は直感と想像力の世界だと思う。アマテラスは太陽の象徴だ。
カナダやアラスカ先住民のワタリガラスの神話もまた隠された太陽を取り戻す話だった。
岩戸開きを皆既日食の象徴とする発想も、とても興味深い。
しかし今回ここに獅子が登場するのはどうなんだろう。獅子って何なんだろう。
高千穂の神楽にも獅子は出てきたけどそれは猟師に撃たれる獣のイノシシであり、擬人化された山の神のご眷属とは程遠い扱いだった。
上州ではかつて雨乞いの儀式に獅子舞が川に入るというものがあって、山の神のご眷属である獅子が川に入ることで、あえて川の神である竜神の怒りを買い、雨雲を呼ぶというのがあるけど、海の神さまは今回お怒りにならなかったろうか。

岩戸開きの神楽は二度、用という集落の子供たちの太鼓との共演、そして日食音楽祭の会場内の浜辺で行った。
地元の太鼓と一緒にやれたのはほんとうにうれしい機会で、こんな場を用意してくれたトモヤくんに感謝したい。ここの子どもたち、すげえ上手くて参った。
音楽祭の方はやはり客層ががらりと変わり若者がたくさん、自由なかんじにあふれておりノリもよくておもしろかった。やっぱ笛太鼓だな。
美しい浜辺の舞台はキャシーがその場で交渉して設定してくれた。なんか海外で活躍する彼女のプロフェッショナルの心意気を見た気分。
神楽は前橋熊野神社ヤタガラス神楽会。

用の浜辺では世界庶民ハナヲと木歌のパフォーマンスも。生音のライブと波の音、蝉時雨の心地よさが印象的。足をカニに挟まれてたのもよかったなあ。

奄美でナマコに思う

奄美の皆既日食はすばらしい体験だった。
皆既日食の数分間は世界が薄暗く紫がかり怖ろしい美しさで、涙があふれた。
そう、怖ろしいこと、であるはず。太陽が戻って来たときは、ありがたいと思った。
このときネギちゃんが淹れてくれたチャイがおいしかった。


奄美の海はほんとうにきれいで毎日泳ぎに行った。そこにナマコとの出会いがあった。
ナマコといえば「よく知らないけど、たしかすげえ旨い珍味?!」として、興奮した何も知らない我々上州の山の民はこれを捕獲、仲間がネットで研究しながらなんとか調理。
かなり気持ち悪い調理に苦労したらしい仲間を他所に、PA器材運搬手伝いで外出してて調理後しか知らないぼくは、こりこりとした触感とそのあと口中に広がる海の香りを楽しむ。
が、しかし、研究を進めると、これは食えない種類ではないのか?ナマコではなくウミウシではないか?などの疑惑が。(後日沖縄の美ら海水族館で「ニセクロナマコ」と判明。ちなみに基本的に誰も食わない種類)
翌々日再び別種のナマコを捕獲。美しいさんご礁の保護色で紅柄と黄の斑で、真っ黒だった前のものとは違う。手馴れた感じで再び調理。しかしこいつは固かった。
非常に固くて噛み切れない。しかもエグい。少々疲れたぼくは刻んでしまった一匹を残し塩でしめただけでまだ生きている二匹を海に返した。ごめんよ。
残った一匹を、もっとも優秀なナマコ研究家のさっちゃんが、執念で、否、ほとんど「ナマコへの愛」とも呼ぶべき行動力で、焼いたり揚げたりしてとうとう食えるものに調理しきってくれた。
エグみもほとんどなくなり、何よりもちゃんと噛み切れる。ご馳走様でした。命をありがたくいただきました。
それにしてもナマコ研究で知らされたその生態は想像を絶するもので驚かされた。

ナマコは攻撃されると、その内臓を肛門から放出して難を避けるそうだ。内臓は数ヶ月で回復再生するという。ナマコ自身は一切攻撃手段を持たない。

なんという姿勢だろうか。このような生き方があるだろうか。近代社会に生きる人類には及びもつかないのではないか。たぶんその発想(思想)そのものを理解できない人も多いのではないか。
ほとんどぼくは感動していた。攻撃者に対して全てを投げ捨て、戦わない。
究極の無抵抗。背に腹は代えられる?!

そして、ナマコは古事記の天孫降臨神話に登場している。
「アメノウズメ(猿女君の始祖)が魚たちを集め「神の御子に仕えるか」と問うたとき、ナマコだけが答えなかった。怒ったアメノウズメは小刀でナマコの口を裂いた」
ナマコはここではある人物の象徴で、上記のような思想を持った先住民の一族であったのではないか。生き方や、生に対する発想そのものが、天孫族(「国家」を作ろうとする種族)と全く違っていたのではないか。

天の岩戸開きを演じたこと、ナマコとの邂逅、これらが古事記の神話でつながっていたこと、そしてナマコの示す生き方。

説明は出来ない。その意味はわからない。
ただ、そうして今回の旅の全てはつながっていることとして、ぼくは深く納得する。




奄美から沖縄へ渡った。
ちなみに奄美では写真を撮らなかった。なんでだろう。ときどきこういうことがある。
載せる写真が無いのです。誰かからもらって後で載せたい。

絹本作品を仕上げなければならない。なかなか奄美モード(ゆるいかんじ)が抜けず、仕事が進まない。
いつも真面目で固いから「今回はいい絵が描けるかもよ」と言われた。ひ~。


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Posted by waka at 21:32│Comments(0)日記
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